「縁側から庭へ」の著者のエマニュエル・マレスさんが、4月25日KBS京都出演 されました。

Posted on 4月 28, 2014 | Category: 書評

「縁側から庭へ」の著者のエマニュエル・マレスさんが、4月25日KBS京都出演されました。以下のKBS京都のブログに紹介されています。。
      http://www.kbs-kyoto.co.jp/radio/para/
 また、次のような、識者からの書評もいただいております。
日向進(日本建築史研究者)
「日本建築のもっとも魅力的な空間は縁(縁側)ではないか。自然(庭)と人工(建築)をなめらかに連続させ一体化する縁は、一語では外国語に翻訳できないのではないかとも思う。『縁側から庭へ』の著者エマニュエル・マレス氏は、庭師のもとでの修業を積み重ねるなかで縁と庭に魅せられていく。さらに夏目漱石の文学にあらわれた縁という空間の分析を通して、近代における個人と社会との関係性を考察した博士論文をあらわした。そのような彼によって紡がれた縁と庭をめぐる随想、それが本書である」
小田中康浩(芸術家)
「これは単にある一人のエトランジェが、滞在した京都の記憶を異国情緒たっぷりに描いた旅行記のようなものではない。日本文学の学徒であったマレス氏が、漱石の文学に描かれた「縁側」をよりよく理解しようとして京都にたどり着き、様々な縁に導かれて日本庭園の研究者になっていく。大学院生として、庭師の見習いとして、日本庭園を紹介する本の編集者として、様々な庭に関わっていくマレス氏に一貫しているように見えるのは、庭という空間とその歴史を彼の身体そのもので感じとっていこうという姿勢である。剪定した木に登って庭の見え方の違いを楽しむ身体、苔の庭にうずくまって手箒で夢中で枯れ葉を掃除する身体、洛北・圓通寺の借景の庭の視覚的な魅力を実測する事で解明しようとする身体、重森三玲のお弟子さんの仕事場で大正時代の言葉の響きを味わう身体、南禅寺塔頭の金地院庭園を経巡りながらその隠された空間の混淆性に驚く身体・・・。それは、縁側という「内でも外でもない曖昧な空間」にたたずんでいた身体から、庭という外部、京都という外部へと投げ出されていく身体の記録でもあるのかもしれない。エッセイ風の内省的な文体の中にさりげなくちりばめられた日本文化についてのアカデミックな知識や著者の考察からも得るところが多いが、この本はむしろ、これを読んだ我々自身が先入観なしに、ひとりのエトランジェとして日本庭園や京都の文化を身体で感じとっていく事へと誘われていくような、知的な冒険への誘いの書であるともいえよう」

» Filed Under 書評

Leave a Reply

Copyright © 2005 Yourcopyright. All Rights Reserved | Design: YGoY