「デューイスクール」が教育史学会の『日本の教育史学』61巻で紹介されました。

Posted on 2月 25, 2020 | Category: イベント

「デューイスクール」が教育史学会の『日本の教育史学』61巻で紹介されました。
キャサリーン・キャンプ・メイヒュー、
アンナ・キャンプ・エドワーズ 著(小柳正司監訳)
『デューイ・スクール
― シカゴ大学実験学校:1896年~1903年』
宮本健市郎(関西学院大学)
デューイ・スクールは、アメリカにおける進歩主義教育の起源といえる実験学校のひとつであり、世界中の新教育運動に多大の影響を及ぼした。この実験学校の根拠となった理論およびその実践を理解するうえで不可欠の図書が2冊ある。ひとつがデューイ自身の講演である『学校と社会』(1899)であり、もうひとつがデューイ・スクールの教師であったメイヒューとエドワーズが著した『デューイ・スクール』(Katherine Camp Mayhew and Anna Camp Edwards,The Dewey School: The Laboratory School of theUniversity of Chicago, 1896-1903, 1936)である。どちらの図書も研究者の間ではよく知られている。前者はいまでも数種類の日本語訳が出回っており、デューイの教育思想を理解するための基本文献となっているので解説は不要であろう。後者は、デューイの妻で実験学校の運営に深く関与していたアリス・チップマン・デューイが学校の記録として企画したものを、彼女の死後(1927年)、その遺志を引き継いだメイヒューとエドワーズが、ジョン・デューイの助言を受けつつ、完成させたものである。原文で500頁ちかくある大部な図書であり、実験学校の詳細な実践記録となっている。デューイ夫妻が実験学校を去って33年後に出版されたものだが、随所にジョン・デューイ自身の文章も盛り込まれ、彼の理論がどのような形で教育実践に反映されたかを、本書によって確かめることができる。

本欄でとりあげる『デューイ・スクール』は初めての全訳である。訳業に携わった小柳正司、森久佳、中野真志、千賀愛、伊藤敦美、中村和世は、それぞれ長年にわたって集中的にデューイ・スクール関連の一次資料を渉猟し、その教育実践を詳細に解明してきた。6人の協力によって、デューイ・スクールの全貌が初めて具体的に日本語で紹介されたといってもよいであろう。監訳者である小柳は、邦訳の意義を二つ挙げている。第一には、デューイ・スクールの教育実践が、現代のわが国で注目されている「アクティブ・ラーニング」の原点であること、もうひとつは、近年進みつつあるデューイ・スクールに関する実証的な研究の一つの到達点を示していることである。

では、本書の全体構成をみておこう。もくじは以下のとおりである。
まえがき
序文(デューイ)
Ⅰ部 歴史と構想
1章 デューイ・スクールの歴史
2章 カリキュラムの実験的基礎
Ⅱ部 カリキュラム
3章 カリキュラムを開発する実験的実践
4章 家庭のオキュペーション:グループⅠ、Ⅱ
(4~5歳)
5章 家庭を支える社会的オキュペーションへ:
グループⅢ(6歳)
6章 発明と発見による進歩:グループⅣ(7歳)
Ⅴ 図書紹介
- 164 -
7章 探検と発見による進歩:グループⅤ(8歳)
8章 地域の歴史:グループⅥ(9歳)
9章 植民地の歴史と革命:グループⅦ(10歳)
10章 ヨーロッパからの移民者たち:グループⅧ
(11歳)
11章 本格的な教科教育の実験:グループⅨ(12
歳)
12章 特別な実験活動:グループⅩ(13歳)
13章 本格的な教科教育の実践:グループⅪ
(14~15歳)
14章 成長の原理に基づく活動の選択と試み
Ⅲ部 教育の科学的方法
15章 科学的方法と科学的概念の発達を促す科学
実験
16章 社会生活の起源と背景を探る実験的活動
17章 コミュニケーションと表現の技能を発達さ
せる実験的活動
Ⅳ部 学校の組織・構成員・評価
18章 教師と学校の組織
19章 保護者と子ども
20章 原理と実践の評価
補遺
1 デューイの教育原理の発展(エドワーズ)
2 シカゴ実験の理論(デューイ)
3 実験学校の教師とアシスタントのリスト
訳註
解説 ― シカゴ大学実験学校はいかなる学校で
あったのか―
デューイ・実験学校に関する文献紹介

The Dewey School は、1978年に梅根悟と石原静子によって『デューイ実験学校』(明治図書)として抄訳が刊行されたことがある。石原によると、原著には「内容に重複が多く抽象的で退屈な議論の部分が少なくない」(同書247頁)という理由で、Ⅲ部がほぼ全面的に削除されており、他の章も要点をまとめたような形であり、全体は3分の1程度に圧縮されている。その点で、梅根・石原訳はデューイ・スクールの概略をつかむのには便利な図書といえるが、研究者にとっては物足りないものであったことは否めない。また、Ⅲ 部が省略されたことで、デューイ・スクールが科学的方法を重視していたという点がわかりにくくなっている。

これに対して、今回の訳書はまさに全訳であり、訳者による補足、訳註、解説もある。したがって、梅根・石原訳によってデューイ・スクールを理解していた人々にはその認識を大幅に修正するところが少なくないと思われる。本訳書の意義を、梅根・石原訳と比べながら、三点、紹介しよう。

第一に、梅根・石原訳では省略されたⅢ部の重要性を強調しなければならない。Ⅱ部が年齢ごとの教育実践の詳細を記述しているのに対して、Ⅲ部は、年齢があがるにしたがって、子どもがどのように成長していくかを検証したものである。15章をみると、低学年の段階では子どもが発する疑問が授業づくりに生かされ、子どもは様々な実験を行なうこと、学年があがるにつれて科学の専門的なテーマを発展させていくことが詳述されている。たとえば、料理は、美味しいプリンを皆といっしょに作ることから始まり、高学年では生理学や栄養学や衛生学につなげていくのである。料理の授業は、「科学的方法を学ぶ機会が最も豊富」(訳書167頁)であった。16章は、地理と歴史、織物産業の歴史的発展を、子どもの関心の広がりと関連づけている。その授業のなかで注目を引くのは、「教師は、子どもの教育と大人の経験の二重レンズを介し物事を見ている」(訳書174頁)という視点である。17章は読み書き計算の技能の習得と、成長の初期段階における言語使用から始まり、芸術表現の意義までを説明している。芸術的表現の教育的意義については、デューイ晩年の課題になるが、デューイ・スクールですでにその考察と試みが始まっていたのである。

以上のようなⅢ部の記述をみると、デューイ・スクールの実践において、教師の指導がいかに綿密であったかがわかる。デューイ・スクールの実践が子ども中心で、子どもの興味や活動をそのまま肯定したように見えるとしたら、それが誤解であることは、Ⅲ部の記述から明らかである。

第二に、本訳書によって、教育実践の試行錯誤の過程がよく見えるようになったことに注目したい。実験である以上、失敗する可能性はなくならないし、実験の成果は目に見えるとは限らない。それでも、デューイは「教授細目を過度に細かく定めたり、授業と規律の方法を前もって決めたりするよりも、………過ちを犯すことの方を関係者全員が好むだろう」(訳書205頁)という確信をもっていた。抄訳に- 165 -よって結果のみを見たのでは実験の過程から学ぶことは限定されてしまう。「重複」「退屈」と思えるところにも、本書の価値を見出すことができる。

第三に、翻訳についてみると、随所に、訳者によって、原文にはない言葉が意図的に補足されている。関連の一次資料を十分に読みこみ、おそらく訳者相互の確認のうえでのことであろう。これによって、全体が理解しやすくなっている。

最後に感想を述べると、三十年前の教育実践を評価するという難しさは抱えているものの、本訳書を精読すれば、実験学校における子どもの学習のレベルの高さは奇跡的であると思えてくる。また、その教育実践が教師による綿密な模索の過程であったことにも圧倒される。「アクティブラーニングを考える原点」という評価は誇張ではない。(あいり出版、2017年7月、xiv+303頁、4,000円)

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